Oscar Wilde『ドリアングレーの肖像』

 鏡の中の堕落

彼は選択しなければならない時が本当に来ていると感じた。それともその選択はもうなされているのだろうか。そうだ、人生が彼にかわって、もうそれをしてくれている・・・人生と、人生に対する彼の無限に広がる好奇心が。永遠の若さ、無限の情熱、微妙で密な快楽・奔放な悦びとさらに自由奔放な罪・・・彼はこれらのすべてを自分のものにしていく運命にある。肖像画は彼の恥辱の重荷を背負ってくれる。それだけのことだ。


 肖像画と自分の容姿の強烈な対照が、彼の快楽感を深めた。自分の美しさにますます魅せられると同時に、自分の魂の腐敗にますます興味を覚えていった。彼は皺だらけの額やぼてっとふくらんだ官能的な唇によった皺を丹念に、そして時には奇怪で恐しい悦びを感じながら観察した。そして、罪の刻印が恐しいのか、老の刻印が恐しいものにしているのかを考えてみもした。


 肖像画の変化を見守るのも楽しいことではないか。自分は心の秘密のすみずみまで探っていけるのだ。この肖像画が彼にとっては、この上ない不思議な魔法の鏡となってくれる。かつては、彼の肉体の持つ意味を教えてくれたように、今度は彼自身の魂を映し出してくれることになる。肖像画に冬が訪れようとも、彼自身は春から夏の黄金時代を享受できるのだ。血の気が彼の顔から失せて、鉛のような目をした青ざめた顔になろうと、彼自身は少年時代のグラマラスな魅力を保持できるのだ。彼の魅力の花一輪すら散りはじめることはない。生の脈動は一度たりとも弱まることはないのだ。ギリシャの人の神々のように、強く、軽やかに、歓喜に満ちていこう。キャンバスの上の色どられた像にどのような変化が起きようともかまわないではないか。自分は安全なのだ。それがすべてだ。


 彼自身の手で、刻々と変化していく容貌が彼の生活の真の堕落を示すあの恐しい肖像画を掛け、その前に紫と金の棺衣をカーテンがわりにかけた。何週間もそこへは行かず、あの恐しい絵のことを忘れ、陽気な気持と快活さをとりかえし、ただ生き長らえるだけの生に執着しようとした。


 ■二重人格


(C)1999 ユズハ ( mailto:Yuzuha@bigfoot.com )