Sir Henry.Rider.Haggard 『she』

 社会ダーウィニズムの宣言
「愚かなことをいうものではない。では、そなたは邪魔するものをとり除くのが罪悪だというのか?それなら、われらの生涯はすべて長い罪悪ではないか。人間は、生きるために毎日他のものを殺しているではないか。この世では強いものだけが生きながらえることができるのじゃ。弱いものは、滅びなければならぬ。万物は強いもののためにあるのじゃ。一本の木が生長するためには、多くの木が枯れる。人間は挫折し脱落したものの死体を乗りこえて地位や権力を手に入れる。われらの食べるものは飢えに泣く赤子の口からもぎとったものじゃ。それがこの世のさだめというものじゃ。そなたは、罪を犯せば悪の報いがあるというが、経験が足りぬゆえ、そのようなことがいえるのじゃ。罪が善をもたらし、善が悪を生むこともある。悪虐非道な暴君の怒りが後世、多くの人々から祝福されることもあるし、聖者の愛に満ちた心が国民を奴隷にすることもある。人間は善かれと思い、あるいは悪しかれと思うて事を行なう。けれども、それがどのような結果をもたらすかについては何も知らぬ。棒を振るとき、球がどこへ落ちるかは、誰にもわからぬ。そのときどきの目に見えぬ蜘蛛の糸を予測することはできぬからじゃ。善と悪、愛と憎、辛と甘、男と女、天と地・・これらは、いずれも皆それぞれに必要なものじゃ。だが、どうしてかくあるのか、それは誰にもわからぬ。よいか、その目的の重荷に耐えられるように、それらを撚りあわせる運命の手があり、すべては万物に不可欠な大きな綱によって統一されているのじゃ。
されば、これが悪で、あれが善だとか、闇は憎むべきもので、光は愛すべきものというようなことを口にしてはならぬ。なぜなら、おのれの目に悪とうつるものが、他の人の目には善とうつるかもしれぬし、闇が光よりも美しいかもしれず、あるいは、いずれも皆おなじであるかもしれぬからじゃ。」


 ■社会ダーウィニズムとは?
 社会ダーウィニズムとはその名の通り、ダーウィンの進化論を社会に適用した考え方です。つまり、自然淘汰、適着生存、生存競争を社会に適用した考え方。これを中心に考えてみると、社会や文化の進歩は社会の集合体である国と国とが抗争や競争をすることによって、生み出された産物だと言うことになります。これは更に突き詰めると、競争に打ち勝ち優越を得た民族は生物的に優れている!ということになってしまいます。そして、この考え方は「優者が劣者を征服する」帝国主義の正当化へと結びついていき、後々の世界大戦につながっていくのでした。


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