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『邯鄲』が姓。魏に仕えて書家としても大変名高い人物です。物語では十三歳の時、「曹娥の碑」の文章をたちどころに書き上げられたことが紹介されています(71)。 |
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三国志演義では、この邯鄲淳が書き上げた「曹娥の碑」に対して蔡よう(漢字がありません)が謎の暗号を残したことで紹介されている人物です。直接的には名文家であったこと以外には特に記述がありません。ちなみにこのときの暗号は「黄絹幼婦、外孫韲臼」というもの。「黄絹」は「色糸」で「絶」、「幼婦」は「少女」で「妙」、「外孫」は「女子」で「好」、「韲臼」は「辛(香辛料)を受けるもの」で「辞」、つまりは「絶妙好辞」という意味でした。この謎かけは誰にも解けませんでしたが、三国志史上最強のクイズ王曹操と楊修の2人だけが解いています。ただし楊修は一瞬で解けたのに対して、曹操は随分と解くのに時間がかかりました。しかしこの楊修の才能は、結果的に彼自身を滅ぼす原因となってしまいます。楊修はクイズ王決定戦で曹操の謎かけをあっさりと解いてしまった為に、曹操の逆鱗に触れて殺されてしまいました。(これに関しては幾つかの説があります。詳しくは楊修の項で) |