二世というのは一般的にダメなものだと相場が決まっています。主君の子供ということで周囲からチヤホヤされて、身をもって苦労を味わうことが無かったからでしょう。三国時代も同様で、大概の英雄の二世というのはダメな人物が多いようです。その良い例が劉備と劉禅でしょう。蜀同様に呉も王族からほとんど傑物が排出されていません。ですが、曹操の子供たちの多くは優秀な人物が多かったようです。その中でもとりわけ優秀だったのが次男の曹丕です。弟の曹植もたいへん優秀な人物でしたが、政治家としては曹丕に及びません。ちなみに曹操のことを魏の初代皇帝だと勘違いしている人を見かけますが、初代皇帝はこの曹丕です。後漢最後の皇帝献帝に迫って禅譲を強要しています。
曹丕が弟曹植を苛めたストーリーは現代にも多く伝わっています。そのせいで、曹丕は陰険な人と見られがちのようです。ですが、政治力や人材を見る目は父親譲りの優れたものを持っていました。官吏の選抜では優れた発言が多く見られます。また弟同様に優れた詩人で、彼の詩は今でも近所の図書館で読むことができます。
曹丕は残念ながら皇帝即位後すぐに病気で死んでしまいます。蜀の諸葛亮は曹叡の時代まで生きていたので、国の将来に不安を抱きながらの病死でした。彼の死後、孔明が死んだあとの皇帝は余程安心したのでしょう、酒色に溺れてしまう皇帝が多くなっていきます。それが司馬懿のクーデターの直接の原因となってしまいました。曹丕は曹家隆盛最後の皇帝と言えるかも知れません。 |